私事ですが、毎朝出勤前に神社でお参りをする事が日課になってます。
神社の名前は名古屋東照宮、そして隣り合わせに建っている那古野(なごや)神社です。
今回は毎日お世話になっている名古屋東照宮についてご紹介したいと思います。
尾張藩初代藩主・徳川義直(とくがわなおよし)が、元和5年(1619)に、名古屋城・三の丸に社殿を建立し、父・徳川家康の神霊を祀ったのが始まりだそうです。
名古屋東照宮(創建当時は名古屋城内の三の丸にあったので三之丸東照宮とも呼ばれたそうです)は
愛知県名古屋市中区丸の内のビル、マンションの立ち並ぶ一角あります。
比較的 緑の多い地域ですが、その一角はひと際緑が生い茂ってます。愛知県名古屋市中区丸の内のビル、マンションの立ち並ぶ一角あります。
春は桜が咲き、満開時はとてもきれいで癒されます(^^)/
東照宮といえば日光を想像され、きらびやかなイメージかもしれませんが、
この名古屋東照宮はとてもこじんまりとして落ち着いた木造の建物です。
創建当時の社殿は権現造りの建物で、内外に彩色がほどこされた壮麗なものだったといいますが、
その名残は門の平唐門、桟瓦葺(サン・カワラ・フキ)。塀は透塀の見事な造りから想像する事が出来ます。
またこれらは重要文化財に指定されているそうです。その名残は門の平唐門、桟瓦葺(サン・カワラ・フキ)。塀は透塀の見事な造りから想像する事が出来ます。
※平唐門・・・開口正面に向かって左右に唐破風(からはふ)のあるもの
※唐破風・・・日本の伝統的建築物によく用いられる屋根形状のことです。
※桟瓦葺・・・屋根の下板に横桟を打っておき、そこに瓦の端をひっかける工法

≪福神社と呼ばれる末社があります。≫
こちらの御祭神は大国主(大黒)さまと事代主(恵比寿)さまで、
家康公が生前この2神を深く信仰していたことから、お祀りされているそうです
≪明倫堂(めいりんどう)跡の碑≫
尾張第九代藩主徳川宗睦が、藩士の子孫の教育のために建てた学問所(藩校)。
明倫堂跡も神社の敷地内にあるのですが、今は月極駐車場になってます。
以前は春になると境内で花見席の予約ができ、屋台もたくさん出ていて
宴会も出来たのですが、ここ数年は飲食禁止となってしまい、とても残念なんです。
そしてもう一つ、桜で思い出す事があるのですが
台風で幹の一部が割れてしまった桜の木がありました。
随分古く大きい木なのですが、もう花も咲かせなくなるのかと
残念に思っていたところ、次の春には少しですけど、花を咲かせたのです。
残念に思っていたところ、次の春には少しですけど、花を咲かせたのです。
『オォ~すごい!』『マジで~!!』と心の中で叫んでいたのは私です。
徐々に花の数も多くなり、最近では他の木に負けないくらい いっぱいの花を咲かせます
春になり、その桜の木を見るたびにとても勇気づけられます(#^^#)
そんな事も含めて私の癒しの空間であり、気合が入る場でもあります。
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